琉球風水とは

和来龍

2022年10月31日 08:00

 現在、沖縄で普及している風水は「琉球風水」と呼ばれることが多いようです。

シーサーは琉球風水の象徴

 沖縄に風水が伝えられたのは中山王・察度(さっと)時代と考えられています。
 琉球王朝時代の歴史書『球陽』巻六には、1392年に中国福建から那覇の久米村に移住したとされる閩(びん)人三十六姓の人たちが風水を実践していたことが書かれています。後に、風水は琉球王国の国づくりに積極的に活用されるようになります。琉球王国の風水師は、福建で風水を学び、帰国すると役人として国家事業に関わりました。ただし、久米村人以外が風水師になることは許されませんでした。

 明治になって、琉球王府が解体されると風水知識は民間に伝わるようになりましたが、風水の秘伝書や羅盤は風水師個人によって秘匿されました。いつしか琉球王朝時代の風水を熟知した人がいなくなり、伝聞による風水知識と日本本土の家相や占いを学んだ人たちが風水判断をするようになりました。

 2003年に筆者が『幸せを呼ぶ琉球風水』を執筆した頃は、「琉球風水」という言葉はほとんど使われていませんでした。というのも、それまで沖縄では風水のことを「フンシ(またはフンシ―)」と言い、風水判断する人のことを「風水見(または風水看)」と書いて「フンシミー」と呼んでいたからです。  〈中略〉



 20年ほど経った現在では、「フンシ」よりも「琉球風水」という言葉を使って本土や中国の風水も取り入れた鑑定や建築設計、インテリアのアドバイスを行う人たちが多くなりました。
 風水の歴史を振り返れば、中国で陰陽、五行、八卦、干支などの風水原理を用いた風水術が作られていく過程で多くの流派が現れました。明から清の時代になると、風水の流派はさらに枝分かれして風水術は玉石混交となりました。
 現在、風水は世界中で知られるようになりましたが、数え切れないほどの流派ができています。「琉球風水」も一つのものとして定義するのは難しいと言えます。現代の占い師や風水師、設計士などが、各自の風水術を名乗る時に、「琉球風水」という名目で仕事をしているのが実状です。




〔出典:「沖縄風水学」入門/和来龍著/ボーダーインク刊/2022年10月31日発行〕



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