沖縄・琉球風水師
「和来龍(わらいりゅう)」
週刊かふう 第40回 生命エネルギーが満ちる場所
2023 / 10 / 15

「週刊かふう」は琉球新報社の住宅情報誌です。
 2020年4月から月一回、第4金曜日の号に「風水看がみる景色」としてエッセイを連載しています。新たな琉球風水レッスンの中で、これまでの掲載内容を順次紹介していきますので、おもしろ楽しく読んでみて下さい。

◆第40回 生命エネルギーが満ちる場所◆
『岩や石には神霊が宿る』という考えは世界各地にある。
 これは、自然に存在するすべてのものの中に霊魂が宿っているというアニミズム信仰の一種で、日本では岩をご神体とみなす「磐座(イワクラ)」信仰が知られている。

 沖縄でもクボウ御嶽(今帰仁村)や斎場御嶽など自然の岩や樹木を崇拝する信仰があった。ただし、沖縄の古代信仰では自然物や人工物、人などに「セジ」という霊力が憑いてはじめて信仰の対象となった。
斎場御嶽シキヨダユル・アマダユル
鍾乳石から滴り落ちる「聖なる水」を受け取るために据え置かれた壺(斎場御嶽/シキヨダユル・アマダユル)

 セジは本土では聞き慣れない言葉だが、沖縄では琉球王朝時代の古謡「おもろさうし」にも謡われている。現代でも霊感が強い人に対して「セジ(シー)高生まれ」とか「あの人はシジ高い」などと言ったりする。しかし、セジ(シジ)を理解している人はあまりいない。

 「おもろさうし」の研究者として知られる仲原善忠はセジについて次のように書いている。
 古代沖縄人の信仰の対象は何であったかということを、オモロ(神歌)を中心として調べてみると、これまで漠然と考えられていた杜・嶽・神(巫女)・石・動物の類ではなく、セヂ(シヂと発音す)と言う非人格的な霊力が圧倒的で、テルカワ(日)・テルシノ(月)・テダ(太陽)崇拝がこれに次ぎ、杜・嶽およびその神・火の神などは第二期の発達であったという、意外な結論が生まれた。※1

 仲原によれば、セジは無意志・非人格的なもので、質、量ともに多種多様、極めて流動的な存在である。
 人・動植物・石・水・土地・山など、あらゆるものにセジは結びつくことができ、ついたものに霊能を生じさせるという。セジが人に憑くと一種の超人になると考えられていた。そのため、聞得大君※2は別名セダカコ(セジ高き人のことで日本語の気高き人の意味に通じる)と呼ばれた。

 オモロに出てくるセジとケオ(またはケイ)は同義であることから、セジは風水で考える気と似た存在のようである。風水では、気は宇宙に充満する生命エネルギーと考えられており、これによって万物は生かされている。そして、国家や人が幸福で豊かになるように土地や建物、墓地などの環境を整えて、それらを生気で満たすためのテクニックが風水術だ。
手彫りの石敢當
自然石に文字を手彫りした石敢當(久米島町仲地)

 セジが岩石や場所に留まれば霊石や聖地(嶽)となるが、風水ではこれをパワースポットと呼ぶ。セジも生気も人間の生命力を強めてくれる存在だといえるだろう。
久米島町謝名堂の石敢當
石敢當の役割で置かれた自然石(久米島町謝名堂)

 琉球風水で石敢當や石獅子などの石が持つ霊力が信じられてきたのも、その背景に琉球古来のセジへの信仰があったからだろう。


※1 参考文献『仲原善忠選集下巻』セヂ(霊力)の信仰について(1969年・沖縄タイムス社刊)

※2 琉球王国の最高神女。聞得大君は鳴(と)響(よ)む世(せ)高(だか)子(こ)とも謡われた






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