沖縄・琉球風水師
「和来龍(わらいりゅう)」
週刊かふう 第49回 もてなしの庭園
2024 / 07 / 15

「週刊かふう」は琉球新報社の住宅情報誌です。
 2020年4月から月一回、第4金曜日の号に「風水看がみる景色」としてエッセイを連載しています。新たな琉球風水レッスンの中で、これまでの掲載内容を順次紹介していきますので、おもしろ楽しく読んでみて下さい。

◆第49回 もてなしの庭園◆
 琉球庭園は、日本の庭園様式に中国庭園の要素を加えて造り出された琉球独特の庭園様式といわれている。

 沖縄での最初の庭園は、1427年に華人の懐機によって造られた龍潭と安国山だ。彼は、北京で中国庭園の技法を学んで帰り、首里城外苑を官民遊息の場として整備した。

 その後、天界寺や円覚寺などの臨済宗寺院が造られると、禅や茶の湯とともに庭園文化も日本から伝えられたと考えられる。

 17世紀になると、琉球王国は薩摩の武力侵攻によって間接支配を受けるようになり、江戸幕府の影響下に置かれた。
 一方、日本では戦乱の世が終わり、武士階級は教養を高めることで社会的地位を維持しようと図った。この時期に大名芸術ともいわれる文化が花開いた。庭園文化もその一つで、江戸をはじめとして全国の城下町で造園ブームが起き、庭園は大名の遊興や社交の場として用いられた。

 江戸時代は儒学が奨励され、中国文化を理解しようとする風潮が各藩に広がった。
 水戸黄門のモデルとなった徳川光圀は、朱舜水という儒者を中国から招き、小石川後楽園に中国風の西湖堤や円月橋を懸けた。これが評判となり、西湖堤は多くの大名庭園に取り入れられた。こうして広大な池泉に架かる中国江南地方の堤や石橋などの様式が大名庭園の特徴となった。園内には見晴台や茶屋なども設けられ、順路にそって回遊するようになっていた。

 この造園様式は琉球にも影響を与えたようだ。
 1800年に尚温王の冊封使をもてなした識名園は、漢字の「心」を崩した形の池泉を中心にした回遊式庭園で、その様式は大名庭園に類似している。
識名園池泉
識名園は和漢融合の池泉・石橋に琉球様式の御殿が特徴的な大名庭園といえるだろう

 東の中島には琉球石灰岩で造られた大小二つの石造アーチ橋が架けられているが、それらは江南地方の石橋を連想させる。太湖石風のゴツゴツした橋と西湖堤の影響が見られる相方積みの橋があって、その対比はとても印象的だ。
石橋
太湖石風の琉球石灰岩を用いた趣のある石橋

 西の中島には、六角形をした中国風のあずまやがあり、一つ石で造られたアーチ橋が架けられている。
 御殿は南側の前面に池、東側に小さな築山を配し、白漆喰を施した赤瓦屋根の琉球様式で建てられている。
識名園御殿
御殿は森に抱かれて池泉を望む四神相応の配置

 識名園は琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されたが先の大戦で壊滅した。その後復元されて一般人も入園できるようになり、2000年には世界遺産に登録された。

 識名園のガジュマルの森や池の周りをゆっくり散策し、池泉のほとりに腰を下ろして深呼吸すれば、日頃のストレスから解放されて心身ともにリフレッシュできるだろう。

※水戸徳川家の初代藩主・頼房が1629年から江戸上屋敷内に造らせた庭。続いて二代藩主・光圀が中国趣味を取り入れて和漢の景観が融合した庭園を完成させた。






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